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2000年10月  第3話  江戸の蕎麦消費量

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新蕎麦も出回り、お蕎麦の消費量が増す季節となりました。
そこで今月はお蕎麦がどれ位食べられていたかというお話でございます。

蕎麦は17世紀初期に江戸で食べ始められ広く普及しますが、今に伝わる統計によりますと19世紀中期に、江戸府内に3763店の蕎麦店があったと記されております。
平成3年調査の東京都5400店余りと比較致しますと、町の広さといい、人口といい、10分の1以下の所に70%のお店がひしめいていたことになります。この他に時代劇でお馴染みの屋台があったわけですから、江戸での蕎麦の食べられ方は異常であったと言えます。都政史料館所蔵の「重宝録」という産業史料によると、安政3年・1856年の1カ年のそば入荷量は16万3千俵でありました。

余談になりますが、当時は「山もの」とされる信州、甲州、武州から馬で運ばれてくる物と、「河岸もの」と呼ばれる下総、上総、相模から船で送られてくる物があったそうです。「山もの」は「河岸もの」に比べ風味に富み、値段も1割程高かったと言われています。

さて本題の戻り、「16万3千俵」というそばの量がいかほどのものかを試算致しますと、この時代そばは空いた米俵に二度目のお勤めをさせ、詰めるのですが、米より軽いので、1俵12貫500匁、約46キロとなります。
ちなみにこの伝統から、平成の現在でもそばの取引単位は「1俵、45キロ」なのだそうです。すると「16万3千俵」の中身は約7500トンとなり、この75%が粉になりますから、蕎麦粉の使用量は5500トン、桝に入れると蕎麦粉1キロが1升ですから550万升となります。平均的に2割の小麦粉を加えたとして、合計約700万升の粉でお蕎麦を打ちあげます。
蕎麦は普通、茹であげますとほぼ2倍の重さになりますので、1人前180グラムとすると、1升の粉から12人前ができ、しめて「8000万食」のお蕎麦が完成することとなります。当時の江戸の住人は、武家、町人、女衆、子供を含め100万人とされていますので、一人当たり「1年に80食」のお蕎麦を食べた計算になります。高級武士、子供を除くと成人男子は1日1回はお蕎麦を食べていたと想像できます。
今回は色々な文献を調べていく中で、私自身、150年以上前の蕎麦店の多さ、消費量の膨大さに驚き、大変いい勉強をさせて頂きました。
原点に戻り、いつまでもお蕎麦が庶民の身近にありますよう努力する所存でございます。