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2001年2月  第7話  鍋焼きの起源

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寒さが一段と増し、「鍋焼きうどん」の季節です。
以前出させていただいたNTV「どっちの料理ショー」でも申しましたが、
この季節、土鍋のふたを取ると汁がぐつぐつと沸き立っていて、
舌を焼くようなアツアツのところを ふうふう吹きながらすするのが「鍋焼きうどん」の醍醐味と申せます。

この鍋焼きうどんの登場を今回調べてみました。江戸末期の大阪では既に屋台の夜売りで流行っていた事が、
元治元年(1865)市村座初演の「粋菩提禅悟野晒し」と言う芝居の中で語られております。
四天王寺山門の前に担ぎの荷をおろした夜売り蕎麦屋が客に応えるセリフで、
「私はついこの間まで大阪名物エンドウ豆売りでしたが、この頃流行る鍋焼きうどんにすっかり押され、
それから宗旨変えしました」という内容のくだりがあります。

当時、江戸の三座の一つであった歌舞伎劇場「市村座」にかかった芝居に出る位ですから、
少なくとも元治元年以前の大阪で、鍋焼きうどんの屋台がもてはやされていたに違いないと推測できます。
しかしながら、いつ頃考案され、いつ頃商品化されたか、正確なところは皆目解らずじまいと言う始末。

ただ、その流行はもっぱら、うどん華やかなりし大阪中心で、関東に移ってきたのは明治6,7年頃と新しいようです。
一説には、明治11年頃に深川で始まったとされるものもありましたが、これはまゆつばもの。
ともあれ本来は、寒さ染み入る冬場のものですが、
最近の空調設備の進歩で季節感とは別に人気の高い商品となっております。

いろいろな鍋物を含めて考えても、1人前用の鍋物はこの鍋焼きうどんが代表しているように思えます。
鍋焼きうどんはその食べ方からすると煮込みうどんですが、
うどんの玉は天麩羅うどんや鴨南蛮うどんと言った他の種物と同じ様に茹であげておいたものを、
一度湯通ししてから使います。

これに対し、世に知られる名古屋の味噌煮込みうどんは、真水でこねたうどんを生のまま鍋で煮込みます。
このように、生麺を入れてから煮込むものは、郷土色の強いうどん料理によく見られる特徴と言えます。
生麺から煮たのでは時間がかかりすぎ、商売には向かないようです。

最近は、食器としての鍋自体も破損しやすいことから鉄鍋を使用するところが見られますが、
高価そうに見えて実は土鍋の方が長い年月の中ではコスト高になるのです。
しかし何と言っても土鍋の持つ質感は、鍋焼きうどんには欠かすことが出来ない条件とは思いませんか。