2001年3月 第8話 雛そばのお話
三月三日は「桃の節句 雛祭り」です。
「上巳(じょうし)の節句」とも呼ばれ、
「端午(たんご)」「七夕(しちせき)」「重陽(ちょうよう)」などと共に江戸時代、五節句として定められ、
武家から町人まで幅広く行われる風習となりました。
雛祭りのルーツは平安時代に、
日本の「雛遊び」と中国から伝わった人形に託して厄を鎮める行事が混じり合って生まれたとされております。
元々は節句が済むと、酒や食べ物と共に海や川に流してしまうものであったそうです。
節句には、それぞれつきものの食物・飲物が生まれ、雛祭りにはご存じのように
「菱餅」「雛あられ」「桜餅」「白酒」などがあります。
実はお蕎麦もその中の一つで「蕎麦史考」なる文献によると、
雛祭りにそばを食べる風習は1700年代のなかばに既に見られたとされております。
この頃になると、土を焼いたり紙で作られていた人形も現在に近い豪華なものに変わり、
雛壇や調度品も多く飾られて、市民文化の円熟が感じられるものとなってきました。
そんな時代に、飾った雛壇を崩し、雛人形を納めるときに「節句蕎麦」を供える習慣が民衆に広がり、
浸透していったようです。
文政年間発行の「嬉遊笑覧」なる文献に
『今、江戸の巷に、雛をしまうとき、蕎麦を供ふ。これは長き物の延びることを、祝う心なり。』とあり、
家運や寿命が長く延びるよう蕎麦を供えて願をかけたもので、「年越し蕎麦」同様の縁起・吉例である。
「五日の風に当てると嫁入りが遅れる」と言われているように、雛人形を仕舞うのは三月四日に決まっており、
この日に清めの蕎麦を供えるのが江戸のならわしとなった訳でございます。
当初は普通の「二八蕎麦」だったようですが、雛飾りの調度品が豪華になるにつれて、
お膳も蒔き絵などを配した物が用いられる様になり、
お蕎麦も「二八蕎麦」ではなく、色彩の鮮やかな「変わり蕎麦」がポピュラーになっていきました。
私ども更科布屋では、家伝変わり蕎麦の中から古式にのっとり、
「菱餅の三色」に合わせ桃(桜切り)・緑(茶蕎麦)・白(御前更科)をお出ししております。
この三色は元来、桃色は花を、緑色は草を、白は雪を表すとされております。
お蕎麦は細くとも永いお付き合いを象徴する日本の伝統食です。
お蕎麦と共に、日本古来の文化・伝統・風習を次の代に確実に伝えたいと思っている次第です。