2001年8月 第13話 二八そばの由来
「二八そば」の解釈を巡っては様々な議論がされておりますが、大別すると「二八、十六の語呂から一杯十六文」とする代価説と、そば粉八割に小麦粉二割で打った蕎麦を表す混合率説になります。どちらが正しいかという結論は未だに出ておりませんが、業界での通説は代価説のようです。
私自身も本来の二八蕎麦の由来は代価説と思います。二八そば」と言う言葉が初めて登場するのは享保年間1710年頃で「衣食住記」なる文献の中で「神田あたりにて二八即座けんどんと言う看板を出す」と言う、当時の屋台の話が載っており享保起源説の根拠となっております。
当時「二八」は蕎麦だけでなくうどんにも使われ「二八うどん」なる物もあり、単純に混合率説を当てはめても説明が付かないうえ「一八そば」「二六そば」「三四そば」に至っては明らかに混合率説とは考えにくいと言うことが代価説の解釈であるようです。物価を考えると享保年間は蕎麦一杯十六文しないのではと言う疑問が出て参りますが「二八即座けんどん」は従来の一杯きりの無愛想な商法に対して、愛想良くお替わり付きで十六文としたという記述が文献に見られます。
蕎麦の値段が二十文を超えるのは慶応年間頃ですから、
「二八そば」の由来は代価説が正解と言うことになるのではないでしょうか。そうなれば「一八そば」は一杯八文。「二六そば」は十二文。「三四そば」も十二文。と言うようにすっきり理解できる訳です。
しかし慶応年間以降は代価説はそばの値段から無理がありこれを境に混合率説と解釈するのが時代を考えた理にかなったものと言えます。
さて次回はそば店の看板によく見られる「生蕎麦」「御膳」と言った言葉の意味歴史についてのお話をいたしとうございます