2002年2月 第19話 蕎麦店のだしの取り方
先月は東京に残る老舗の会のお話をさせていただきましたが、老舗の一番の特徴は「蕎麦汁」で、その大切な汁に最も重要な要素が「だし」と考えております。
「だし」は江戸の味を構成する4つの材料の中で他の3つ(醤油・砂糖・味醂)とは異なり、その店に存在する戦略や高度なテクニックによる「加減」が、味を左右する重要な要素となるものと言えます。そうした意味で江戸の古くからの蕎麦店では、関西風あるいは料理屋風の「だし」とは異質の「だし」の取り方を致します。一口に申しますと「だしを引く」という感じではなく、長時間「だしを煮つめて取る」と言う方法を用います。
この違いはまず、使用する鰹節の厚さに表れます。
関東の蕎麦店で使われる鰹節はかなり厚削りの物が多く、煮つめる時間によって厚さを細かく指定する店も少なくありません。厚削りの節を使うことによって鰹節のうま味成分を徐々に抽出し、さらに長時間煮つめることによって「だし」を濃縮するのが、江戸代々の蕎麦店特有の、濃いだしの取り方であります。
なぜ、この様な濃いだしの取り方になったか。一番の理由は、使用する鰹節の種類にあります。
関東のだしの材料は、鰹節を筆頭に宗田節・鯖節の併用が多く見られますが、いずれにしてもカビ付けをした「枯れ節」が用いられます。
ちなみに、関西ではカビ付けを省いた「荒節」が使われる傾向です。
枯れ節が好まれるのは、カビによって十分に乾燥された鰹節は、うま味成分が分解されにくいばかりでなく、余分な脂肪を分解し魚臭さを防げ、だし汁自体が澄むという効果があるようです。
よく「汁にコクがある」とか「コクが足りない」などと言われる「コク」は、節のうま味エキスが十分に出ているかどうかで、鰹節の量だけでは説明できません。 煮つめ時間と鰹節の厚さ、火加減と蒸発の度合いを、各々の蕎麦店自体がどう考え、どういった蕎麦汁を作りたいかで変わってくるものであります。しかし経験的に、長時間煮つめることでしか引き出すことができないと言うのが江戸の味としての「だし」の特質ではないかと思われます。さっと湯にくぐらせ、香りを重視する「吸い物だし」ではなく、料理のベースとなる「煮物だし」に使用する鰹節は、意図する用途によって取り方も複雑なバラエティを生みました。
蕎麦つゆは、言うまでもなく、蕎麦を食べさせるためのベースですから、その基本も「だし」に帰結いたします。
代々「だし」を吟味してこしらえてきたのもこの為で、このこだわりが店ごとの個性の表現と言えます。
非常に奥の深い「だし」の世界ですが、これまでに吟味してきたこだわりは、次号でご紹介いたします。