2003年11月 第40話 蕎麦屋のこんくらい
出入りの商店や他業種の友人が、いつも「そば屋のこんくらい」を笑います。
こんくらいとは「この位」のことで、蕎麦店の仕事が何をするにも、何を入れるにも、ちゃんと計算せずに「こんくらいにするんだ」とか「こんくらい入れるんだ」という具合に、手で格好を示すのがおかしいと笑う訳です。しかし、手で触ったり、色を覚えたり、入れる物の分量のかさを見たりして覚えたものはなかなか忘れません。むしろ数字で何グラム、何リットルと言った方が忘れ易いのではないでしょうか。
ですから、そば屋の技術は「口伝」と言うよりむしろ「見伝」で次々と伝わっていくようで、その為少しの人にしか伝わらないのです。
一子相伝などと申しますといかめしく権威のある様に聞こえますが、一子だけにしか伝える暇がないというのが実体で、原始的継承方法と言えます。口伝ではもう少し解ったような気になることもありますが、
それでも一度見たことがないとはっきりしないことばかりです。
胡麻切りそばの口伝に混ぜ込む胡麻の分量は
「蕎麦粉1升に胡麻1升を、あたってふるって、出ただけ入れる」というのがありますが、解ったような解らないような分量です。材料を買いにやるときも、柚子のように個数のはっきりしたものでしたら「何個」と指示できますが、大きさについては手で丸く示して「こんくらいの物」となりますし、桜切りそばに使う桜の葉の塩漬けは、指二本で厚さを示して「こんくらい」となり、若い衆に失笑されますが、他に言いようがないのですから仕方がありません。 最近はこれではいけないと、出来るだけ数字でも知らせておこうと計ってみることにしております。先ほどの胡麻の粉は100g~120g。桜の葉は75枚と言ったところに落ち着きました。
分量については計ることによって解決するのですが、色合いや物の硬さについてはやはり「こんくらい」の世界が一番です。桜切りそばの薄いピンクは花を見せて「こんくらい」としか言いようがありませんし、お蕎麦を練り上げるときの硬さは、耳たぶを触らせて「こんくらい」と表現するしかないのです。
笑い話にもなる「そば屋のこんくらい」ですが、200年以上もそれで続けてきたとなると、これもまた真なりと思える次第です。科学性を越えた合理性とも思える事がたくさんある蕎麦店の仕事・技術です。
「年寄りはうるさいことばかり言う」と思ってきましたが、残すべき事は残していこうと思う今日この頃です。