2003年2月 第31話 蕎麦にまつわる逸話伝説
日本人と蕎麦の付き合いは長く、蕎麦が中国雲南省から他の穀物と共に伝来したのは、
縄文時代と言われております。畑作と同時に全国に広がり、各地で栽培されました。
その為この蕎麦にまつわる「昔語り」や「伝説」の類が各地に色々残されています。
今回はその「伝説」のいくつかをご紹介しようと思います。
「蕎麦の赤すね」
そばの茎は約1m位の高さで、最初は緑色か淡い紅色をしています。
これが成長すると赤色、下の方は濃い紅色になります。
昔はこれが神秘的だったようで、民話として宮崎地方にこんな話があります。
昔あるところに「むぎ」と「そば」の姉妹がいて、自分たちの老母を背負って川を渡ることになりました。
その日は冬の寒い日で、「むぎ」は嫌だと言い、「そば」が一人で母を背負い川を渡ることになりました。
それが為に「そば」の足は水の冷たさで真っ赤になってしまったと言うことです。
しかし、「そば」は早くに川を渡ったおかげで冬には畑にいなくて済み、「むぎ」は長く畑に残って、
おまけに頭を踏まれることになったと言うオチ付きの道徳的伝説。
「親鸞上人」に関する伝説
親鸞上人と言えば浄土真宗の開祖で比叡山の大乗院と言うお寺には、
「親鸞上人蕎麦喰御木像」と言う仏像が安置されており、これにまつわる伝説が伝わっております。
それは、親鸞上人が比叡山で修行中の二十九歳の事。
上人は、後に師匠になる法然上人が京都の三条で仏法を説くと聞き、そのもとで百日のお篭りをして話を聞き、仏道を極めようと言う大願を起こし、毎晩往復七里の道のりを通っていました。
しかし幾日もの朝帰りを不審に思った仲間の僧侶が、先輩の慈鎮和尚に「あいつは遊郭などのよからぬ場所に通っている」と告げたところ、和尚は不意を付いて夜、全山の僧を集めた。すると不思議なことに、居ないはずの親鸞上人も集合しており、問答をしたり、出された蕎麦を食べたりしていた。
翌朝、戻ってきた親鸞上人を立ち会わせて確認すると、 自分の手で刻んで部屋に安置してあった、蕎麦を食べる仕草をした仏像が化身したものであったことが分かる。この話が広まり、親鸞上人の名が大変高まったという話。
蕎麦にまつわる種々逸話は、史跡等により民衆に大変近い存在であったことや、
蕎麦そのものが日本において太古の昔から栽培されていたことから、生まれたように思われます。