2004年2月 第43話 200年前のお話
有り難いことに、ご先祖様のお陰で創業210年を迎える区切りの年となりました。
一口に210年と申せ、よくも永い間続けてこれたものだと我ながら先代達のお力に感心いたします。
かく言う私も美味しいお蕎麦を求めて日々努力をしているつもりではありますが、迷うことは多々ある次第です。そんな折り200年前の蕎麦・そば汁はどんな物だったのであろうと言う疑問が出てまいりました。
そこで今回は200年前、江戸の蕎麦店のそばと汁のお話と相成ります。そばの方は容易に想像がつきます。この時代は江戸幕府の鎖国政策で現在国産の生産量の4倍になる外国産は一切存在しませんし、
電力を使用した機会も存在しません。
全ての蕎麦店が、好むと好まざるとに関わらず「国産手打ち」の蕎麦を商いしていた訳です。
しかしながら現在のものと比べるとその製粉技術に大きな差があり、その姿はよく田舎蕎麦として目に入る外殻が取り切れていない黒い蕎麦ではなかったかと思われます。さらにこの時代においては茹でる蕎麦ではなく「蒸し蕎麦」が主流という事であり、その名残が現在の蒸籠に盛って出されることに連がっていると言われております。
簡単に想像が出来る蕎麦に反して、そば汁は現在皆様が食している物とは全く違ったものであった様です。 何分にも今は当たり前の醤油・味醂・砂糖と言った調味料は200年前にはまだ完成しておらず、
「溜まり」「醤」「どぶ」と言った時代でありました。
1643年に書かれたとされている「料理物語」と1695年書かれた「本朝食鑑」と言う2つの料理本によると
「うどん、そばは煮抜きか垂れ味噌で食し、それに大根の絞り汁を加えてもよし、花かつお・おろし・あさつき・辛子・わさびを加えてもよし。」と書かれておりました。そば汁となる「垂れ味噌」とは味噌1升を水3升に溶かして煮詰めて袋に入れ、滴り落ちる液を集めたもの。 「煮抜き」とは味噌を水で薄めたものに鰹節を削り加えて、煮詰めて漉したもので少し料理らしい加工が加えられた様に思われます。
この煮抜きや垂れ味噌はその後長く日本の「ソース」として使用されたようで、数多くの書籍に登場いたします。ともあれベースは読んだだけでも今と比べてずいぶんと塩辛く感じられる代物です。
現在そば汁の原料は「醤油」「味醂」「鰹節」「砂糖」の4つですが、この時代は砂糖使わなかったようです。
この現代型に近づくのは1800年の後半になってからと「守貞漫稿」なる書物が書いております。
甘さイコール旨さとなり始めた時代がこの頃で、現代の味覚に近くなった時代と思われます。
調味料の完成度とあいまって、辛い汁が甘味を増してくる歴史がそば汁にあったように感じられる次第です。