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2005年10月 第63話  蕎麦を配る習慣

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古くから江戸には特別な時にそばを振る舞う習慣や仕来りがありました。

最もよく知られるものは「引っ越しそば」で、江戸中期から行われるようになった習わしと聞いております。
転居先に荷物を運び入れたところで、家主、向こう三軒両隣に、ご挨拶として配るようになりました。
それ以前は、あずき粥や小豆をそのまま配っていたようですが、重量が重いことと、値段が張ることから、
当時1杯十四・五文程度だったそばが、使われるようになりました。

引っ越しそばは、隣近所へは2つずつ、大家、差配(管理人)には5つというのが決まりで、
そばに越してきたことに引っかけて「おそばに末長く」あるいは「細く長くお付き合いをよろしく」と言う、
江戸っ子の洒落と、何と言っても一番手軽で安上がりというのが結びついたのが本当の理由と思われます。その後、明治の末期からは、そば店で売られた「そば切手」「そば券」(現在のプレペイドカード)を現物の代わりにお渡しする方法が一般的となって今に残っております。

「もり2つ」「もり5つ」と書かれた券は、当時配った数の名残と思われます。


さて、その他にもそばを配る習慣が見られるものをご紹介いたしますと、

「棟上げそば」

建前にそばを振る舞うもので、ご迷惑へのお詫びと、建築関係者への食事となった。

「とちりそば」

芝居の役者さんたちの間での習慣の一つで、台詞を間違えたり、演技を仕損じることを、「とちる」と申しますが 、このとちりをしでかした役者が、楽屋中のみんなに、罰として配ったお蕎麦のこと。

「吉原敷き始めそば」

遊女がお客より夜具を新調してもらったときに、そのお祝儀として周りの人にそばを振る舞った。

「新板物祝いそば」

当時の書籍はすべて版画仕立てであった訳ですが、その新刊、つまり新板ものが出たときに、著者や画師などの出版関係者を招いて振る舞ったおそばの事で、今で言う出版記念パーティーの定番だった。

このように江戸中期には、数々の催しにおそばが使われていたようですが、それだけおそばが市民の生活に浸透しており、尚且ついたる所にそば店があり、
しかも安かった事がその最大の理由だと思われます。