2005年6月 第59話 醤油へのこだわり
醤油は知らず知らずの内に刻々と変化しています。
「ちりも積もれば、山となる」で十年前と現在を比較すると驚くほど変わっているのです。
どう変わったかと言うと「窒素分」「糖質」が増え、「色の濃度」が薄くなりました。
窒素分・糖質は美味しいと感じる成分で、簡単に言うと「甘みと旨味」が増えたと言えます。
醤油は穀物や肉を塩で漬け込んだ際に出来る「醤(ひしお)」を起源に発達したもので、特に豆を使った味噌とその上澄み液「醤精(たまり)」を経て、そこに水を入れ過ぎたことにより生まれた「たまり醤油」の原型から始まったと言われています。
各地で美味しい醤油を作ろうと、材料や混ぜものが工夫されたことが文献の中に見られますが、
その中で17世紀の後半、銚子で従来からの大豆と大麦の組み合わせを大豆と深く炒った小麦に変えることにより、深い色と香りを持った醤油が誕生しました。これが現在の濃口醤油の原型です。
蕎麦店ではこの濃口醤油を そば汁のベースとしておりますが、酸化によって時間とともに色が黒くなり香りが劣化いたします。
この劣化を防ぐために「返し」と言う技術が生まれました。
醤油に砂糖・味醂を混ぜ込み、熱を加え、カメで低温保存することにより、一定の味を保つ技術であります。
「ジャム」をご想像いただくと解りやすいと思いますが、砂糖は酸化や腐敗を防ぐ保存剤となるのです。
蕎麦店ではこの「返し」を2週間程度の寝かし期間の後、順に使います。
この「返し」については科学的に研究された論文がいくつも出ておりますが、その賛否は別として、時間を費やした醤油の味は明らかに変化し「穏やか」で「丸みがある」「落ち着いた味」となります。
古い店舗を解体する際、返しを入れておくカメの内側に付いた酵母や乳酸菌を調べたいと、
土間に埋めたカメを欲しいと言ってこられた醤油メーカーがありました。
醤油自体は出荷の際の加熱処理で酵素は死滅していますが、保存中における色々な酵素が醤油を旨くするそうで、カメにはいわゆる「蔵付き酵母」がある様です。
その店の味がこの酵母によって生まれるならば、鰻のたれ同様代々つぎたされ受け継がれるカメの醤油は、江戸の味の秘伝と言えるかも知れません。
しかしながら、冒頭にお話ししたように変化する醤油です。
自店の味の根本を知り、醤油の現状を把握する事が肝要で、変化にそくした調整を怠らないことが「のれんの味」を守る唯一の手段と考えております。旨味の少ない時代から「返し」という技術と経験で旨い醤油へと作り変えた蕎麦店ですが、変化が予告もなくやってくる醤油に気を許していると味が変わってしまうのです。
「親が教えてくれた通りにやっている」のは美徳ではなく、
「親の教えてくれた味にしている」事が伝統だと確信しております。