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2006年4月 第69話  江戸わずらい

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昔から「江戸のそば」「大阪のうどん」と言われますが、何故そんな住み分けが出来たと思われますか。

その理由の第1番目は、江戸近郊にうどんの原料となる小麦粉の生産が少なく、雑穀であった蕎麦が手に入り易いことがあげられます。小麦は灌漑をため池に頼る関西や、梅雨のない北海道にむく半乾燥地帯の作物ですし、大河はあるものの町を作るときにも「水道」を必要とした水利の悪い関東では米作もままならず、やむを得ず雑穀類の蕎麦が多く作られていたと言うわけです。

第二の理由は、江戸庶民が蕎麦を大変好んだからであります。
簡単な理由のように思われるかも知れませんがその裏には必然性がございます。
それが「江戸わずらい」となります。蕎麦が好き、うどんが好きといっても当時の江戸の主食はなんと言っても「白米」です。「お天道様と米の飯は何処にでも付いてくる」と大口を叩く江戸庶民にとって白米は身近で、わずかのおかずで大量の白米を食べました。 

「重宝録」なる物資の動きを記した書物では、この時代の江戸への小麦の流入量は「1年間でおよそ37万俵」と多量ですが、これは10万石程度。蕎麦は「一年間でおよそ16万3千俵」で5万石足らず。
400万石と言われる米とはどちらも比べものになりません。

その結果として起こることが、ビタミンB不足。「脚気」をわずらうこととなります。
この病気を「江戸わずらい」と呼びました。これが将軍のお膝元江戸ならではの地方病となりました。

大阪では常食に白米ばかりを食べずに麦、豆を混ぜていましたし、その他の地方では食べたくとも白米は貴重品でしたのでこの江戸のような心配、病はありませんでした。

蕎麦にはビタミンBが豊富に含まれています。
草食動物がカリウム不足を防ぐため塩を舐めるがごとく、江戸庶民は蕎麦のにおいを嗅ぎつけこれに惹かれて蕎麦に群がることになりました。

興味深い話として、昨今のサプリメントブームの中で最も売れているビタミン剤はB剤だそうです。
現代人も過多の白米食のため、日本全国が当時の江戸のようになったのではないかと考えると、
バランスのよい食事、必要な栄養素の摂取を求めて、自然発生的に「蕎麦ブーム」が生まれてきたと考えるのも面白い推測かも知れません。原料の流入量から換算して以前27号で詳しくお話ししたように、
この時代の江戸の蕎麦人口と考えられる庶民は、江戸市民120万人から外食をほとんどしない武士50万人、女性子供30万人を引いた40万くらいと思われますが、平均して年間200食、ほとんど毎日のように蕎麦を食べていた計算になるわけで、
蕎麦店が3700件も立ち並んだ幕末には「江戸わずらい」も無くなり以後は死語となっていったと言うことであります。