2006年6月 第71話 茹でたてのお蕎麦
最近では、蕎麦は茹でたてでなくてはいけない事になっておりますが、よく考えてみますと東京の蕎麦店は皆、茹でたてなのです。なぜならそれぞれのお店には大きな釜が設置され、注文を受けるとそこで茹でてお出ししています。そしてその茹でたての蕎麦を「一水切ったり」「完全に水を切ったり」してお出します。
私ども更科では香りを売り物にした変わり蕎麦を大切な柱としておりますが、
昭和30年代には「しっかり水を切った蕎麦はあるかい」と聞かれるお客様が何人もおられました。
水に濡れていると全く蕎麦の香りがしないからです。「茹でたて」=「濡れた蕎麦」と言う方程式は藪そば一門の謀略かと思ったこともありましたが、そうではありませんでした。
ではなぜこの様な風潮になったのかと思いますと、東京には従来の蕎麦店の他にもう一つのそば店があったのです。そこにはそば釜はなく、蕎麦は別の場所で茹でられ玉にして届けられ、それを「しゃぶしゃぶ」する蕎麦店=「立ち食い」「スタンド」のそば店です。
「安売り」のためには技術を機械に変え人件費を削り、我々の使う1/3程度の価格のそば粉と3倍に増量した硬い小麦粉で原料費を削らなくてはなりません。しかしこの業界も競争の激化により、その中の1軒が「三たて」を宣伝文句に使い始めます。と言っても店内に釜を備えたわけではなく四角い湯沸かしの器に穴を空け、そこにかごを沈め、その中に「茹でていないそば」を入れ浮き上がったところで丼に移しますから茹でたてという理屈です。
パスタの茹でだしにも使われますがタイマーを使えば職人さんはいらない訳です。
「三たて」という言葉は確かにそばに関することわざですが、蕎麦屋のものではなく田舎で自家製の蕎麦を打つ時の話だそうです。家庭ではいちいち一人ずつ茹でるのではなくいっぺんに茹でますので、後から食べる人はのびてまずくなるのが常識です。もともとそば店では茹でたてが常識、それ以外はないのです。
必然的に食べるまでに時間が経つお土産用のお蕎麦は、例外で茹でたてで詰めてはいけないものです。
水が付いていると伸びが進みますし、固まってほぐれなくなるからです。
話を元に戻して、「茹でたて」は蕎麦専門店では当たり前の常識です。
ことさら宣伝文句に使うほどのものではありません。物理的にいっても蕎麦は水を付けたままですと伸びます。茹で上げてから一刻も早く食べて頂かなくてはならない物ですのでそう言った工程になっております。
蕎麦粉の品質により、その店の蕎麦汁の内容により水の切り方が変わるだけです。
並木の藪さんの堀田翁も「うちがもう少し太打ちなら、おたくのように自然と一水切った蕎麦になるよ」おっしゃっています。あの藪さんですら「茹で上げ至上主義」ではないようです。
謀略などと書いて藪さん済みませんでした。