2006年8月 第73話 暖簾のお話
「暖簾(のれん)」のことを古くは「のうれん」又は「のんれん」と読み 、
本来は神社やお寺などで風や日光を防ぐために入り口に幕をつるした物がルーツと言われております。
日本で一般に商売が盛んに成りだしたのは室町時代と言われているが、その時代の絵巻物や風俗屏風などに見られる「暖簾」は、二~三枚の布地を横にはぎ合わせて家紋などを染め抜いた物であったようです。
暖簾は江戸時代に入って商品名や屋号、氏名などを染め抜くようになり、看板よりも早く発達、広まりました。江戸の初期は、色は白を基調として、黒や紺で店名などを入れていたが、寛永の頃になって反対の、紺地、黒地の布に白抜きという物が始まったと言われております。
「商売往来」という文献には「暖簾は訓のれん也、専ら木綿製也、また地紺、屋号などを白く染め抜く也、三都とも短き物を暖簾と言い、長きを京都にて長暖簾という。江戸にては日除けという也。」とあり、同じ暖簾でもその長さによって関東と関西で呼び名が異なっていました。
江戸の末期頃には、丈の短い物を関東では「半暖簾」、関西では「水引暖簾」と呼び、普通の商家では店の間口いっぱいにかけましたが、蕎麦店では入り口の幅に長のれんを掛けるしきたりがあったようです。
暖簾は商家の象徴であり、「暖簾を誇る」と言えば老舗の伝統を受け継いでいることであり、
「暖簾うち」と言えば同族一党を表した形容となります。