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2007年6月 第82話  蕎麦通

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この拙い文章を書き始めて丸々12年になりました。
浅い知識を補おうと色々な文献を読む機会を得たことは自分自身にとって素敵な副産物となりつつあります。今年も何点かの絶版になった古書に巡り合いましたが、その中の一編が「蕎麦通」なる文献です。

安政6年(1859)生まれの蕎麦屋の旦那が72歳になった昭和5年9月、蕎麦屋で生まれ蕎麦屋で老い朽ちる四方山話を口述筆記にまとめたものであります。 現在は代替わりをされてしまいましたが、
「滝野川やぶ忠」の旦那、蕎麦打ち名人の名を欲しいままにした村瀬忠太郎氏がその作者であります。
自序から始まり産地・製粉・蕎麦と汁の技術・地方の郷土食・古典献立・新メニュー・科学的栄養価・値段・符牒・江戸以来の蕎麦店の紹介等など実に多岐に渡った楽しい書物でありました。

作り手として積み重ねてきたノウハウや知識が蕎麦通たる称号に実にぴったりとマッチする感じが致しました。ご自分の生きてきた想い出話は、後ろから同じ道を歩む我々にとっても実に参考となるものです。

蕎麦に限った事ではないのですが、昨今は「通」と言うと美味いの不味いの、三ツ星だ五ツ星だと評価ばかりが目立つ書籍が大流行ですが、そんな他人の評価に惑わされる事なく、自分の価値基準をしっかり持つ事が本物を見極める根源ではと思う次第です。
老舗同士仲間内でさえ、技術論や原材料評価はよく話に出ますが、美味い不味いは店ごとの信念により作り出す味と言う事で評価の対象にはなりません。

さて話を本題に戻し
「蕎麦通」の中にある「上手い食べ方と拙い食べ方」の一説をご紹介して本年の締めとする次第です。

「全ての食べ物にはそれぞれの食べ方があるが蕎麦だってその通りである。
元来蕎麦の味を見るにはせいろに限るが、汁にどっぷり浸しては駄目だと言われている、
丁寧に作られた蕎麦はほんの少しの汁でもよく汁がしみ込み、啜り込む醍醐味を味わえるものだが、
無理やり機械で押し固められた蕎麦はどうしても余計に汁を付けないと上手くない。
それから真の蕎麦通には洗ったままの水の垂れるような蕎麦を好まぬ方が多い、水が切れたものは蕎麦特有の香りと味を楽しめる。しかし各々の嗜好が異なり随分水の垂れるのを好む人もある。
ただ猪口一杯そばを入れ汁の中でかき回し、まるで汁と一緒にかき込むように食べる人は真の蕎麦通ではないことだけは事実である。この食べ方は見ていても決して美味そうには思われぬ。
蕎麦は箸にすくい上げたものをちょっと汁に付け、するするとすすり込む方がどう見ても美味そうに思われる。一杯の汁でせいろ3枚を食べる上手な方もある」と村瀬忠太郎翁は述べている。