2012年11月 第111話 酉の市
霜月11月の江戸の風物と言えば「酉の市」である。
11月の酉の日(12日に一度来る)に関東各地の鷲(おおとり)神社は縁起物の熊手を買う人で大賑わいとなります。ちなみの本年は一の酉が「11月2日」、二の酉が「11月14日」、三の酉が「11月26」と相成ります。
我々商家にとっては商売繁盛・家内安全・火の用心と多くの願かけをすると同時に年の瀬に向けての恒例の年中行事でもあります。毎年お決まりの浅草長國寺境内の鷲大明神社に詣で、
お決まりの露天商から前回より少し大きめの熊手を買い求める事を当家でも営々と続けております。
酉の市の起源は、江戸郊外葛西花又村(現在の足立区花畑)で行われていた収穫祭と言われています。
当初は縁起物の熊手ではなく近隣の農家が大根・里芋などの農作物を持ち寄って販売したり、熊手・笊・籠と言った農具や野良着が売られていたそうです。
それが時を経て祭りの形も変わり、「物を集める道具」である熊手におかめ・七福神・宝船・米俵・千両箱などの景気の良い飾りを付けて「福を集める」縁起物として売る様になって行った様で、熊手の形状が飾り物を付けるのに都合が良かった事も一つの要因だと思われます。
花又村で始まり栄えた酉の市だがそれには理由があって、この祭りでは辻賭博が開かれていて武士・町人こぞっての賑わいだったそうです。しかし安永年間(1770年代)に賭博禁止令が出され、この地での酉の市は廃れてしまうのである。 当時花又村を「本酉」、千住の赤門寺を「中酉」、浅草鷲大明神を「新酉」と称しこの3ヶ所が有名であったが、隣に吉原を控えた浅草の新酉が人手を集め最も有名な酉の市となり現在に至っている。 都内では他にも目黒の大鳥神社や新宿花園神社など20数ヵ所で行われている。
江戸時代の酉の市での熊手以外の名物は、人の頭になるという願いを込めた「頭(かしら)の芋」と言う握りこぶし大の芋や、金持ちになるようにと「黄金餅」と称した粟餅が良く売れたと記されている。
現在の浅草は頭の芋を売る店が1店、黄金餅は無くなっているとの事。
ご存知のように酉の市には「三の酉」まである年は火事が多いという不思議な都市伝説・言い伝えがあります、今年がその年となる訳ですが、12日間に一度ある酉の日が酉の市ですので通年は二度、年によって三度となります。諸説は色々あるが三の酉が11月の下旬になることから寒い時期の火災予防を促す為というのが一般的なもの、熊手に「火の用心」のシールが貼られていることが多いのもこの影響かもしれません。
色々な言い伝えを読んで今回見つけた面白い説は、浅草の酉の市が吉原のそばにあった事からの説で、
酉の市の度に縁起と称し三度も亭主が吉原に寄り道することに業を煮やした妻達が、三度目を阻止しようと火事が多いので早く帰宅させようとしたと言う説でした。
蕎麦店では酉の市を終えると年越しそばに向けて慌しい時期となります。
年末もご愛顧の程をお願い申し上げます。