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2012年6月 第107話 ぶっかけ

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梅雨も明けもうすぐと言うことで。夏にちなんだお蕎麦が今月の話題です。
「ぶっかけ」は現在では蕎麦屋のメニューには姿を見せなくなりましたが、「冷やかけ」とか「冷やしたぬき」の原型となるものであります。江戸時代には、深くて小さい丼か、浅いくて大きい「大平椀」に蕎麦が盛られ、その上から「もり」と同じ汁が「ぶっかけ」られておりました。

ぶっかけが初めて江戸に現われたのは「蕎麦全書」によれば「ぶっかけそば始まりの事」と題しての以下の記述が始まりです。 「新材木町に信濃屋という蕎麦屋がありこれが元祖であるとされております。
最初は手抜きのためにこしらえ始めたものであるようです。この辺は車引きや荷運び人足が大勢集まり、たむろする場所で、このぶっかけそばを作りだしたのは、立ちながら食べるのに便利なようにしたたためであったそうです。
本来は大変下品な代物であったがその後蕎麦や汁を温めて出すことを発明し、寒さが厳しい季節とか、風邪気味の時に食べると身体が温まるし、蕎麦を盛ったお椀の他には別の汁注ぎも茶碗もいらないので、簡便であるところから蕎麦好きにも受け入れられ次第に盛んになった」と書かれております。

本文には色々な蕎麦屋が取り上げられており、いつ頃なにをしたかが書いてあるのですが、
この「新材木町信濃屋」は記載されていないので、何時のころのことかはわかりません。
しかし、元禄五年(1692年)の「女重宝記」という本に、女のたしなみとして「素麺喰う事、汁を置きながら一箸、二箸を素麺の椀よりすくい入れてから、汁を取り上げて喰うべし。
蕎麦切りなど、男のように汁をかけて喰う事あるべからず」とありますから、男性は、猪口に蕎麦を先に入れ、その後から汁をぶっかけて食べる方法には気付いていたようです。
そのうち「ぶっかけ」が普及して、「もり」より定番になり「けんどん屋(安売り蕎麦屋)」などの主流になると、
ご婦人でもぶっかけを食べざるを得なくなりますが、行儀作法の指導者達はぶっかけを食べるのであれば、「皿を床に置き、口を近づけて食べよ」と教えます。


男性でも、文化人はドンブリを手で持ち上げてかっこむなどと言う事はしては成らず、もっと昔の「今川大双紙」(1400年)では、「人前で麺を食べる時」背中をまっすぐに伸ばし、麺を入れた汁入れを持ち上げて、背筋にそって食べるようにせよ。団子を食べる場合は、背中を丸めて皿を口に近づけて食べよ。
と言うことになっており、江戸時代では、しきたりと威厳から武士は原則としてもりを食べることになっておりました。「ぶっかけ」という言葉は、蕎麦に限ったことではないにせよ、蕎麦を元祖にして普及していったようです。