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2014年11月 第126話 江戸趣味

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毎年この時期になると「忠臣蔵」を思い浮かべる日本人は多いように思います。
「赤穂浪士と蕎麦」「忠臣蔵と港区」は因縁が深い事もあり、私にとっても忠臣蔵にまつわる話は毎年の風物詩と言った所なのかもしれません。蕎麦との関わりについては何度も書いて参りましたので今回はそこから少し離れて港区との関わりについて書いてみようと思います。


「忠臣蔵」と言うのは蔵いっぱいの忠臣と言った意味があるそうですが、その四十七人の忠臣が眠る泉岳寺も港区にございます。なぜ遠方の赤穂藩の菩提寺が港区にあるかと言うと、泉岳寺は曹洞宗江戸三寺の一つで、慶長17年(1612)徳川家康の命で外桜田に創立。寛永の大火(寛永18年1641)で焼失後、徳川家光の命で高輪に移転した泉岳寺の復興・完成をした大名家の一つが浅野家と言う縁で浅野家の菩提寺となり、後に大石内蔵助以下四十七士も葬られたと言う事であります。歌舞伎の人気演目である忠臣蔵は浮世絵にも数多く取り上げられておりますが、この浮世絵も港区とは深い因縁があるようです。と言うのは港区は高輪、愛宕山、増上寺など江戸庶民に人気の場所が多数あり、名所絵が多く描かれています。


また当地芝大門・浜松町あたりは、江戸から東海道への出入り口としてにぎわう繁華街で、錦絵を製造販売する「版元」が軒を連ねていました。地区の版元の数は日本橋に次いで多く、人気の浮世絵師の作品が多く作られています。人気のある絵師の浮世絵版画には高額な値段がつくこともありましたが、贅沢品を禁止した天保の改革では、浮世絵版画の値段を1枚16文に制限しています。当時の16文と言えば二八蕎麦1杯の値段と同じで、これも面白い偶然の一致です。今日で言うなら週刊誌ともりそば一杯と言ったところでしょうか。


港区生まれの人気絵師に初代歌川豊国と言う人物がいます。豊国の出世作となったのが、「役者舞台之姿絵」という役者浮世絵(今で言うプロマイド)のシリーズで、当地芝神明の旧名三島町(現在の日本赤十字社の東あたり)にあった版元・四代目和泉屋市兵衛が製造販売を手がけたと言う事です。当店にも先代の江戸趣味のお陰で何点かの浮世絵があり店内に飾らせていただいております。その浮世絵「神明恵和合取組(め組の喧嘩)」や 「浜御殿(現浜離宮)御船手西瓜合戦」には当時のこの界隈が偲ばれる風情があるように思えます。近代発展を続ける港区ではありますが、江戸の歴史や風情がまだまだ残る土地でもあり江戸文化を伝えて行く使命が我々にもある思いが致します。