2015年4月 第129話 お寺とお蕎麦
蕎麦はご存知の通り江戸と言う地域と深い関係の食べ物でありますが、もう一つお寺とも切っても切れぬ縁がございます。蕎麦店の屋号に「庵」がつくお店が多いのもこうした理由からであります。
麺状になった蕎麦切りが生まれるずっと前から蕎麦と寺との関係は始まります。寺の僧侶たちには厳しい修行がありますが、その一つに「火断ち」「五穀断ち」と言った荒行がございます。「火断ち」とは読んで字の如く、食べ物を火で料理することなく食べる事も含めて、生活全てから火を一切無くす修行をさします。「五穀断ち」とは米・麦・粟・キビ・豆を口にしないという命にも関わる荒行です。
「木食上人」なる人が五穀を一切を食べずに修行を積んでいる偉いお坊さんだそうで 、言い伝えでは木を食べて生きている事になっています。しかしながらここで幸いな事に五穀に「ソバ」は入っておりません。ソバはどうやらタデ科の1年草と言う事で野菜の仲間とされていたようです。
余談ですが、現在でもソバは穀物ではありますが、「雑穀」扱いとなっております。
話を戻して、豆が穀物でソバがそうでないとは上手く考えたもので、米より優れた蛋白質を豊富に含むソバを食べていれば、炭水化物と蛋白質は補えますから僧侶にとっては有難い食べ物であったのでしょう。この時代庶民は、自分で捕ったり経済的に許せば魚鳥類と言った動物性蛋白質も食べる事が出来ましたが、寺の僧侶は生臭物は厳禁です。
肉体の維持のために必要な蛋白源としても「ソバ」が好都合だったと思われます。「火断ち」にとってもソバは好都合です。水に溶いても食べられますし、生のまま粒を噛んだり、粉にして舐めても消化するのがソバであります。修行僧は挽いたそば粉を持ち歩き谷川の水で溶き飢えをしのいでいたと言われています。少し前になりますが登山家などもソバを非常食に使っていたと言う記述もあるそうです。
この様に蕎麦と僧侶には深い繋がりがあり、蕎麦切り発明以降も必然的に寺では蕎麦が打たれ、非常に上手な僧侶がたくさんいたとなっています。面白い話では江戸時代浅草にあった道光庵なるお寺には「不許蕎麦入境内」と言う石碑があり、蕎麦打ちの名手であった住職の蕎麦を食べようと参詣もせずに人が集まり、お経を上げる暇もなくなる程となった事から寺の規律を乱すとして蕎麦を門前払いするこの碑が建てられたと言われています。