2019年5月 第144話 平成の記憶
1989年1月8日~2019年4月30日、30年4か月続いた平成が終わりました。
世界的には天安門事件やベルリンの壁崩壊、米ソ冷戦の終了で始まった大転換の時代、日本ではバブルの崩壊、アジアロシアの通貨危機、リーマンショックと言った金融危機が思い出されますが、私の平成最大の記憶は多くの自然災害です。平成3年の長崎雲仙普賢岳の大火砕流に始まり7年の阪神淡路大震災、人災にはなりますが同年の地下鉄サリン事件や、10年の東海村の臨界事故をはさんで23年3/11には東日本大震災、28年には熊本地震、昨年は北海道胆振東部地震、その他にも台風/大雨による災害の記憶が強く残っています。社会の動揺は大きなものがありましたが、復興に向けてしっかりとした歩みが続けられて行く事を願うばかりです。
災害に関して考えると江戸時代は平成に負けず劣らず自然災害が多い時代だったようです。江戸の災害と言うと火災をすぐに思い浮かべますが、大火と言われるのものだけでも250年で49回、記録に残るものを数えると1800回を越えると言われています。江戸の住人は火事に会う事を前提に暮らしていたと言われますが、火事以上の災害が江戸時代には頻繁に起こりました。地震や火山の噴火も平成以上に有ったと記録されその影響で現代ではない大飢饉が起こりました。寛永(1642)/享保(1732)/天明(1782)/天保(1833)の大飢饉が江戸の4大飢饉と呼ばれています。地震や噴火に加え17~19世紀は世界的にも小氷期でロンドンのテムズ川でスケートができたり大坂の淀川が凍ったり、品川に2mの積雪があったと言う記録があるほど寒冷で冷害による飢饉も多発したようです。飢饉の中でも最も凄惨だったのは10万人の餓死者が出た天明の飢饉と言われています。
そんな中で天保の大飢饉で起こったお蕎麦に関するいい話があります。1998年福島県の旧家の屋根裏からそばの実6俵が見つかりました。旧家の言い伝えによると、このそばの実は天保の大飢饉を何とか乗り越えたこの横川氏と言う旧家が子孫の非常食として備蓄し代々受け継いできたものだったのです。見つかったとは言え何と160年間眠り続けて平成の世に姿を現したそばの実です、ご先祖の思いを実現する芽が出るのかと農業試験場に持ち込みなしたが、全て不可能だとの判断でした。しかし実を残したご先祖の保存にかける多くの知恵が160年間そばの実を生き続けさせたのです。天保からのタイムカプセルの再現を諦められない蕎麦屋とそば粉屋さんと農家の皆さんの試行錯誤の努力も加わり奇跡が起こります。3重に包まれた俵、その間にはびっしりと砕いた炭と灰が詰めてありネズミや害虫、湿気からも蕎麦を守っていました。ソバは他花受粉(風や虫媒介で受粉する)の植物ですので、天保時代の蕎麦の品種を守るため仲介役となる蜂などの虫も行き来できない日本海の離島での栽培が続いています。「天保そば二世」と名付けられたこのソバをぜひ味わってみたいと思っています。数々の事件や災害の記憶が残る平成でしたが、やって来た新しい時代が日本にとって平和で活気に満ちた時代になる事を祈って止みません。