2020年3月 第149話 そば屋の箸
伝統食である蕎麦に関係する蒸籠、ざる、丼、猪口、徳利、膳などの食器や道具は基本的にそば屋文化が一応の完成を見た江戸時代後期からざっと200年間余り変わっていないと言われますが、案外と見落とされがちな物が箸である。
現在そば屋でお客様に供する箸はほとんどが「割り箸」と言っていいのだが、多くの飲食店で割り箸が普及し始めたのは明治後期以降の事であると言われる中、そば屋の場合はちょっと遅れて昭和初期以降に割りばしに変わったと言われています。
あえて言うまでもなく日本は箸食文化の国であり材質や形状共に様々な箸が作られており、あらゆる食器類の中で極めて古い歴史がありますが「割り箸」となるとそれほど古い物ではなく、江戸時代後期の三都(江戸・京都・大阪)の風俗、事物を説明した一種の百科事典である「守貞謾稿」は文政年間(1830年辺り)以降の出現としている。
この時代は外食産業が広がりを見せた時代で、一説によれば発明したのは鰻屋、材質は「竹」の割り箸だったそうだ。
ご飯の丼物はそば屋でもお馴染みだが現在ある丼物のうち、最も早く登場したとされるのが鰻丼なのだそうだ。
文化年間(1810年頃)江戸日本橋の芝居小屋の主人が蒲焼きと飯を別々に出前させると冷めてしまうため、丼鉢に飯と蒲焼きを重ねて入れ、蓋をさせて取り寄せた事に始まると言う。鰻丼はたちまち人気商品となったそうで、その過程で割り箸も発明されたのだと言う。
ではなぜ最初の割りばしが竹製だったのか?鰻屋では竹の串を使うため、竹の綺麗な割れ方に着目したのだろうと推測される。その後の割り箸の多くは樽などを作った残りで作られたそうだ。
一方、江戸時代のそば屋が使っていたのは丸箸。洗って何度も使う箸で、使用後は塩でもみ洗いをし蕎麦を茹でる大きな釜の中で煮沸し、大きな笊に入れて夜干しをして再びテーブルの箸箱に入れる物でした。当時竹製の丸箸は一般に普及していたがそば屋の箸が竹製だったのか、それとも杉などの木材を加工した物だったのかについては定かではない。
さて、割り箸が画期的だったのは使い捨ての銘々箸だった事で飲食店に割り箸が普及し始めた大正から昭和初期の頃、杉の割り箸はまだまだ高価な物だった。そこで東京のそば屋では、特別な種ものやご飯ものなど値段の張る注文の時だけ割り箸を出し、ふだんは丸箸を洗って使い回すと言うのが普通だった。昨今ではエコと称し牛丼等で再び使い回す樹脂の箸が使われているが、蕎麦屋には馴染まない気がします、
パシッと割ってつるつるとそばをたぐる姿が似合う気が致します。ご存知の事とは思いますが割り箸は元々がエコ思想で使えなくなった切れ端の再利用や優良な木を生育させる為に間引きをした「間伐材」を利用しています。