2021年7月 第155話 お蕎麦のたぐり方
梅雨も明け夏となると冷たいお蕎麦が恋しくなる季節ではないでしょうか?
そんな事で今回は蕎麦を食する仕草についてのお話です。
「見事なり そば食い上手 松の風」これは宝永6年(1709)に出版された「俳諧 ちゑぶくろ」に登場する一句です。そばが題材となった句は過去にたくさんございますが、耳元で蕎麦をたぐる音が聞こえてきそうないい句ではないでしょうか。松を渡る風の如くサラサラとよどみなく爽やかにたぐって食べるのが粋と言う事なのだと思います。注釈にはこの句には他にも含まれている事が有るとの事、「松の風」とは「熊野松風は米のメシ」と言う諺がありそれを基にしていると言うのです。数多くの謡曲の中でも「熊野」と「松風」は毎日毎日、日に三度聞いても飽きない名曲で江戸っ子にとっては米の飯と同じと言う意味らしい。これを蕎麦の食べ方に重ね合せ、蕎麦の真っ当な食べ方が身に付くまでには1日3度と言ってもいい位、しょっちゅう蕎麦を食べなくてはいけないと言う教えが込められていると言う事だそうだ。何となくその雰囲気が伝わっては来るもの「松の風」の様な蕎麦の食べ方とは実際如何なるものなのかをご説明しようと思います。
その第一は「ぐちゃぐちゃと噛むなんざあ江戸っ子じゃねえ!」と言うのが決まり文句です。
せいろの端からささっとたぐって、猪口に注いだそば汁に蕎麦の下1/3位をちょこっと浸したら一気にすすってのどで味わう。そうするとその後に胃から立ち昇って来るのが蕎麦の香りだと言われています。せいろ一枚なら5すくい位で食べきるのも粋の条件と言われているようです。せいろ1枚は一膳飯になぞられて縁起が悪いのでせいろ2枚を注文するのが粋な作法とも言われますが、これは現代のそばの盛り方よりずっと少ない江戸時代の事ですので今は当てはまらないかと思います。いずれに致しましても当時はせいろ2枚を食べ、そば湯を飲み終わるまで注文してから10分程度と言う事で出し手も食べ手もせっかちだったようです。しかも当時はその内半分以上の時間を蕎麦屋のオヤジと喋るべしとされていたとの事で何ともせわしない、まさにファースト(速い)フードの代表だったのだと思います。
余談ですが実在の江戸随一の美男をモデルとした歌舞伎の「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」の直次郎なる色男の雪模様の蕎麦屋でのワンシーンでは湯気の立ち昇る本物のかけそばが運ばれるのが約束事となっており、その見事な食べっぷりに蕎麦好きの観劇客は芝居がはねた後、近隣の蕎麦屋に押し寄せたと言う事です。現代の蕎麦屋でも粋に上手の蕎麦をたぐるお客様を拝見すると作り手として「蕎麦屋冥利」を味わいさせて頂いております。店中に松の風がそよぐ音が響き渡る事を夢に見ながら家業に精進し続けたく思います。引き続きご愛顧の程宜しくお願い致します。