2022年6月 第179話 梅雨穴子
何をしてもうっとおしい梅雨が近ずいてきましたが、この時期に旬を迎える魚が穴子です。
現在一年を通しての安定した食材ではありますが、「梅雨穴子」「夏穴子」と言う呼び名がある様に6月から8月にかけてが最もおいしい時期とされています。ご承知のように魚は通常脂ののった時季が最も美味しいとされていますが、実際穴子に脂がのるのは冬で、夏は脂ののらない時季なのです。穴子は脂ののらない時季が美味しいとされる珍しい魚です。さっぱりとした強すぎない脂とふっくらと身の厚みが増す梅雨時こそが穴子の素材感を一番感じる事ができ、不安定なこの季節の健康管理として格好の食材になったと思われます。
「江戸前の~」と言う形容詞のつく代表格の一つである穴子ですが、東京湾を筆頭に三陸から九州まで全国的に水揚げがあり九州有明が近年多く出回っているようです。さて、今も昔も寿司や天ぷらのネタとして欠かす事のできない穴子ですが、江戸初期(17世紀)の食材を解説する料理本「料理物語」には穴子の記述が見当たりません。では穴子が食べられるようになったのはいつ頃からなのだろうか?と言う疑問が浮び調べてみると、江戸中期(18世紀)の「和漢三才図会」なる百科事典の中では穴子は「阿名呉」なる当て字で書かれ「ハモに似ていて、色はハモより浅く、潤いがなく、脂も少なくよろしくない」となっていました。この図絵が江戸時代の中期のものである事から推察すると、江戸中期には人気のない食材だった様ですが、江戸後期になるとこの評価が一転する事となります。
19世紀に入った江戸後期のレシピ本「素人包丁」には蒲焼きを筆頭に田楽、付け焼き、鉄砲和え、ぬた鱠、茶碗蒸し、あんかけ、味噌かけ、味噌煮、寿司、吸い物、天ぷら等、幅広い料理法が紹介され一躍人気色材の一員に昇格しています。歌川広重の描いた東海道五十三次「品川 鮫洲朝之景」にも茶屋の行灯に阿名呉の文字が見られる程、時を経てポピュラーな食べ物に育って行った様です。当店ではなるべく大ぶりで肉厚の穴子を選びカラリと天ぷらにしてお出ししています。是非お試しあれ!
最後に穴子に関連して江戸前と言う言葉の解釈を記し今月の締めと致したく思います。*元来江戸城より東の下町地域を指す言葉であったが、広義として江戸城の前と江戸の前に広がる江戸湾全体を指す様になったのが江戸前ある。さらに2005年に水産庁によって定義付けられた条文によると「江戸前の魚」とは「東京湾全体(三浦半島剣崎と房総半島州崎を結ぶ線より内側)でとれた新鮮な魚介類。(ただし外房のアワビ、相模湾のタコなど江戸時代に食されていた物を含む)」と言うことになったそうである。