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2024年4月 第187話 「初物ブーム」

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も昔も人々は初物を好み持てはやします。江戸時代にも人よりも少しでも早く珍しいものを口にして見栄を張りたいという風潮があり、「初物を食べると75日長生きする」と言う縁起かつぎまで生まれ江戸っ子は先を争って初物を買い求めました。
「女房を質に入れても食べたい」と言われた5月の初鰹。
「値段の高い物の代名詞」ともなった4月の初茄子。
「江戸っ子がこぞって食べた」10月の新蕎麦。
この他にも3月の新筍、立春から88夜の5月初旬の新茶、6月の早松茸、、8月の新酒、11月の初鮭など野菜でも魚でも季節の先取りは喜ばれ八百善・魚仙・亀清など江戸の高級料亭でも競って初物を出していたそうだ。
中でも江戸っ子が最も拘った初物が「初鰹」、女房…は例えとしても、冬物の着物を質入して鰹を味わった人は相当いたと言う事である。江戸の鰹は相模湾で水揚げされたもので脂の乗った戻り鰹よりさっぱりしたこの時期の鰹が好まれた、鮪もトロは捨てられていたと言う話もある様に味の好みは今とは少し違いがあるようだ。さて初鰹の人気は自然と価格を高騰させた、記録では元禄期(17世紀終盤)に一匹3両(今に直すと約45万)と言うものも有ったそうだ。この「はしり」の時期を過ぎると一両の半額程度になり庶民でも何とか手が出せるレベルにはなるが、それでも家計には響くようで人々はなけなしの銭をはたいて買ったのであろう、このブームも天保期(19世紀半ば)になると漁業の発達で流通量が激増、値段も10分の1に下落ブームが沈静化となった。魚に比べ野菜はまだ入手はしやすかったそうだが、人気の初茄子(促成栽培)は「一富士、二鷹、三茄子」と言われるように高かったそうだ。
この例えは初夢の縁起のよい順とされているが徳川の居城、駿河の高いもの順(鷹は愛鷹山、茄子は値段)だそうである。幕府は値段の高騰を懸念し売り出し時期や促成栽培を抑制したが、大きな効果はなかったようだ。ただ一つ前年収穫米で7月に作られていた新酒は無くなり冬に作る寒酒に統一された今に至っている。雑穀であった蕎麦は価格高騰と言うことも無く、特段の制約も受けず庶民に広まった事は我々蕎麦屋にとっては有り難い事だと言えます。江戸っ子の初物願望は流行の先端を走る美意識として粋な文化となりましたが、この時代の身分制度に縛られた町人庶民のささやかな抵抗であり、見栄であり、贅沢であったのだろうと思われます。