2000年9月 第2話 江戸時代のお品書き
日本においてソバが栽培され始めたのは5世紀の半ばまで遡ると言われておりますが、
大衆食として普及した、つまり現在のような「そば切り」となったのは江戸時代中期のことで、
約300年と歴史は比較的に浅いものです。
しかしその広がりは爆発的なもので、我が国を代表する「食」の一つとなりました。
この「そば切り」は元来、汁につけて食べるもので、
江戸時代に始まった蕎麦店の献立には「もり」1種類しかなかったようです。
そば猪口をもって蕎麦を食べる食べ方を、そばに汁をかけることによって手軽にしたのが「冷やかけ」で、
せっかちな江戸庶民には好評を呼び、冬には温めた汁をかけ「ぶっかけ」と称して販売したそうです。
この「ぶっかけ」が省略されて「かけ」となったのが寛政年間(1800年前後)で、
それ以後「もり」・「かけ」が蕎麦店のお品書きの原型と相成りました。
この「かけ」にいろいろな具をのせたものが加薬そば、つまり現在で言う「種物」で、
この品揃えによって蕎麦店のお品書きの基本が完成されました。
幕末風俗の記録本であります「守貞漫稿」には、江戸時代のそば店のお品書きが次のように記されております。
御膳大蒸籠 代四十八文 そ ば 代十六文
あんかけ 代十六文 あられ 代二十四文
てんぷら 代三十二文 花 巻 代二十四文
しっぽく 代二十四文 玉子とじ 代三十二文
鴨南蛮 代三十六文 小田巻 代三十六文
さらに「江戸見草」なる江戸見聞録には、
私ども更科一門の代表商品となる「変わり蕎麦」や現在にも続くかしわ南蛮、おかめそばの記述がございます。
これらの品書きの中でほとんど見られなくなったのが「しっぽく」で、長崎のしっぽく料理をまねて太平椀に具をあしらったものでしたが「おかめ」の出現で人気を取って代わられ衰退したようです。