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2005年9月 第62話  晦日と大晦日

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毎年の事ながら師走12月になると蕎麦屋は気ぜわしく1ヶ月を過ごします。
ご存知のように12月は「年越し蕎麦」があるためで、原材料の仕入れ調整、用具の準備、

人の手配と平常月に比べてそのたった一日のための準備に追われるひと月となります。

江戸時代からの日本の風習として、年末の風物として趣のある行事であると同時に、
蕎麦屋にとっては年に一度のお祭り、大切な売り上げの一日でもあるのが「大晦日」です。
今でこそ「晦日」は年末の31日「大晦日」だけのように思われておりますが、古くは毎月の末日が「晦日」として区切りの日となり、江戸中期ごろより商家を中心に家運・身代が長続きし寿命が伸びると言う縁起を担いだ風習としてお蕎麦を食べる習慣が存在していたそうです。


年末の「晦日」=「大晦日」は年の最後の一日、その集大成として「年越しそば」につながったと言う訳です。
余談ですが先代たちの話では昔の月末「晦日」の売り上げは平日の3倍、年越し「大晦日」にはさらにその3倍になったそうで、元旦には店の者全員の足の裏がはれ上がり歩けたもんじゃなかったということです。
そのほかにも数々の催事で蕎麦屋には出前の声がかかり、普段のヒマを埋め合わせていただける時代であり、町の小さな蕎麦屋はそれで潤わせていただいた訳でございます。

それが時代の変遷とともに、町場から商家がなくなったり、大店が株式会社に変わって旦那衆が消えると、こうした「蕎麦振る舞い」の習慣が薄れ、蕎麦屋にとっての稼ぎ時の機会が減り日常の商いだけが頼りとなる事となってまいりました。現代は、食生活の多様化が進んだことが最大の要因ではありますが、
季節感の脆弱さや催事・風習の忘却によって蕎麦屋をはじめとする古くからの江戸の飲食店にとっては、
過当競争の渦の中に追い込まれる厳しい時代となってまいりました。

この時代環境の変化は単に飲食店だけの問題にとどまらず、日本人特有の文化である豊かな感性やしきたりが失われていくという一面で一抹の寂しさを感じる次第でもあります。そんな中ではありますが、蕎麦屋にとっては唯一残った12月31日「大晦日」の年越しそばの習慣を最後の江戸文化の砦として大いに宣伝し、守り、盛り上げていくことがご先祖様への僅かな供養になるものと思っております。