トップ > 店主の独り言 > 2013年11月 第119話 田舎蕎麦

hitorigoto_main.jpg

2013年11月 第119話 田舎蕎麦

一覧へ戻る

蕎麦の世界で「田舎蕎麦」と言うと一般的には、太めで黒っぽい形状で蕎麦らしい味わいの濃いそばを指し、白く細い繊細な形状とほのかな甘い風味の『更科蕎麦』の対極に位置するお蕎麦と定義する事が出来ます。ソバの実の挽き方と篩いの方法の違いで同じ実ながらも、色も味も違った粉が生まれます。
その両極端が『田舎と更科』と言う事になります。


現在では洗練された江戸風のお蕎麦の対称軸として無骨で野趣に富んだ地方の蕎麦を表す言葉となっているようです。多くの場合、田舎蕎麦はソバの実の黒い殻を完全に取らずに挽き、出てきた粉を全て使って作るそばであります。黒さは取りきれない殻の色で地方でこの技術がなかった必然性によるものです。
山里の農村で出されるお蕎麦は皆この為にどうしても黒くなりますが、素朴で蕎麦らしいイメージもこの黒さだと思います。

一方更科蕎麦は殻を完全に取り去った実を挽くばかりではなく、挽き始めに出てくる実の芯の部分の粉だけを篩って取り出して作る蕎麦であります。何度もお話をしておりますが、そば粉は白色です。黒さは殻、僅かな殻でも白い蕎麦粉は黒くなります。


さて『田舎蕎麦』と言う言葉は江戸末期の蕎麦屋の品書きには出てきておりませんが、
両国に「田舎そば」と言う蕎麦屋がありそこの売り物が太い蕎麦だったと記されております。
この時代を考えると色の記載はないのですが殻ごと挽いたそば粉であった事は容易に想像が出来ますので、きっと黒くて太い蕎麦だったと思われます。この蕎麦が『田舎蕎麦』の命名に繋がったのではないでしょうか。しばしば田舎蕎麦と同義語として使われている『馬方蕎麦』というお蕎麦がありますが、こちらもやはり江戸末期蕎麦屋の俗称から生まれたもので、四谷の『大田屋』と言う蕎麦屋の挽きぐるみの黒っぽい蕎麦がその起源であります。大田屋は甲州街道と青梅街道の出入り口にあり、
近在からの荷を運ぶ荷駄や馬が頻繁に通りその馬子達のごひいきを得ていたことから
「馬方そば」との異名を取ったと「四谷町方書上」なる文書に記されております。

ちなみに「二八」で16文の値段だったが、量が他の蕎麦屋の3倍近くありたいそうの繁盛だったと言われております。 呼び名同様,お蕎麦は様々な色・形を持って広い世界を作っています。
当店でも広いお蕎麦の世界を少しでも味わっていただきたいと言う考えで「更科」「変わりそば」「ニ八」「生粉打ち」と常時5種類をお出ししております。 今回お話した「田舎」は当店では「生粉打ち」に当たりますが、
唯一つの違いは食用でないそば殻は完全に取り去った上で挽き込んでいる点にあります。
江戸蕎麦はあくまで粋なもの、繊細さには拘りたいものです。