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2016年11月 第133話 「通」とは

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広辞苑によると「通」とは

①とどこおりの無い事

②ある物事について知り尽くしていること

③人情や花柳界の事を良く知り、さばけている事。野暮でない事及び人。となっている。
蕎麦・うどんは日本独特の食べ物ですがそのルーツは8世紀頃に中国からもたらされた素麺であると言われております。

かの地中国で「麺」と言うと小麦粉で作られたもの全てを指すそうだが、その多くは水で捏ねられ、ひも状や扁平にのされ、湯で茹でられていた物が多かった。古代の日本人も現代人と同じように柔軟に創意工夫を働かせ素麺を真似たうどんを作る事となる、小麦粉の生産できない地域においては雑穀のソバの粉を代用しうどんまがいの麺を作り日本の麺文化が生まれたと思われる。そう考えると中国から麺が伝わってからおよそ1200年間にも渡って日本人は麺類を食べ続けてきた訳で、日本人全部が麺類の「通」となったことは当然と思われます。知り尽くすために必要な回数も時間も充分すぎるほど経験を重ねた稀な民族と言える。日本に生まれた人間で蕎麦、うどんと言った麺類が嫌いと言う人は間違いなく少数派であろうし、現代ではラーメン・パスタと言った舶来麺類も身近に溢れている。
美味い麺類に出会えばおもわず微笑むだろうし、食うに食えない物に出くわすと「二度と来ないぞ!」固く誓うに違いないと言う事を蕎麦店を家業とする者として胸に刻んでいる次第ですが、これ程麺類の美味い不味いを一瞬にして見分けてしまうお客様を相手にする家業の恐ろしさも合わせて感じることが不思議な快感でもあります。通と反対の言葉に「半可通」と言うのがありますが、これだけ通が多いと通ぶる半可通もまた現実問題として存在する次第です。
蕎麦については専門分野ですので、色々な評論についても本物か偽者かは判断はつくのですがなかなか反論も出来ずに苦しい事もございます。もっともこれも蕎麦好きが増えたと言う有難い結果ですし、寿司屋や天麩羅屋や鰻屋には少ない事なので喜ぶべき事と思います。

私の考える通の一番のキーワードは、

蕎麦の作り手にとっても、食べる蕎麦通にとっても「自分の好みに合った」である様に思います。老舗の蕎麦屋は家伝の哲学で「この蕎麦」と「この汁」と言うその店の両輪を作る訳ですから、暖簾によって店によって自ずと千差万別の商品となり得意商品も変わります。数多く店を通り、数多く通い、色々な蕎麦に通じ「自分はどこそこの何蕎麦だと」言える蕎麦通が私ども蕎麦屋を育てて頂ける「通」であると信じております