2017年3月 第134話 大門の今昔
昨年138年ぶりに当地の地名でもある「大門」の所有権が東京都より増上寺に返還されました。
これを期に長年(30年ぶり)手を付けられなかった改修工事が昨年末より始まり四月の御忌(法然上人の命日法要)に完成となります。地元も待望の大門改修を祝って今回は当地の宝「大門」のお話です。
1603年江戸幕府誕生に際し徳川家の菩提寺となった増上寺の玄関=総門がこの芝の「大門」である。
この門は1605(慶長十年)年の家康による増上寺大改修時に江戸城の大手門をわざわざ移築して設けられた門である。
その後火災によって焼失し1762(宝暦十二年)年に建造された門が1937(昭和十二年)年まで残ったとされているが確実な記録は無いようだ。明治維新後の1878(明治十一年)年幕府の庇護を失い財政的に困窮した寺が明治6年の新政府の太政官布達による芝・上野・浅草・深川・飛鳥山の5つの公園の制定に際し接収された境内地に続き東京府に寄付し寺の手を離れる事になった。
余談だがこの時の接収された5カ所はすべて寺社の境内であった。時は移り1923(大正十二年)年の関東大震災では影響を受けるも持ち堪えたが老朽化が進み1936(昭和十一年)年に改築が決まり寄付が募られる。当時の計画書類の記録では「地名の起源或いは名所として古くより世間の人々に広く知れ渡りし著名なる建造物なり」とあり当時の東京市も大門を高く評価していたと思われる。
さてそんな事で建築費総額二萬円(現在価値約1億)となる増上寺の総門が鉄筋コンクリート造りで1937(昭和十二年)新築された。新大門の意匠は従来通りの高麗門、高さ幅は共に旧門の約1.5倍であった。
この二萬円の工事費のうち一萬一千円を大門に隣接した不動貯金銀行頭取の牧野元次郎氏が寄付された。
不動貯金銀行は現在のりそな銀行の起源で現在の昭和電工本社の場所にあった。
大門も牧野氏の絶大なる支援があったが浅草の雷門も松下幸之助氏個人の寄贈である。興味深い事実ではないだろうか。さて話を戻して、解体となった木造の旧門は増上寺の同宗派の本所回向院の表門として移築されたが1945(昭和二十年)年の東京大空襲により焼失した。戦争前に鉄筋コンクリートとなっていた我が大門は空襲にも負けずに残り、同じく戦火を乗り越えた隣接する石造りの牧野氏の不動貯金銀行と共に焼け野原となった当地の復興のシンボルとなりました。祖父も父もよくその話と写真を私に聞かせ見せてくれました。
移築された焼失した旧門ですが、亡き先代が牧野元次郎の実弟の司郎氏(画家)が不動貯金銀行の役員室からお描きになった油絵を頂き大切に保管していますがこの機会に階段の横にしばらく掛けさせて頂きますのでご覧頂ければ幸いです。大門の今昔を思いながら。