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2018年12月 第141話 江戸っ子の四季

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将軍のお膝元の江戸下町生まれを誇りに金離れがよく洗練された粋と、弱きを助け強気をくじく張りを持ち前とした江戸っ子意識は、18世紀後半に誕生19世紀になると庶民にも浸透して行った。
「二本差(武士)が怖くて目刺が食えるか」とか「宵越しの銭は持たない」といった比喩で語られる江戸っ子は権力階級や特権階級に対して一線を隠した自覚と反骨精神の塊だった気が致します。
兎にも角にも「良く遊びよく使いよく楽しむ」これがその正体であった様に思われるのです。
宵越しの銭を持たない理由は、しょっちゅう江戸市中には火事が起こりタンス貯金をしていても意味がないことや贅沢さえしなければ公共事業や火事の後片付け、大工仕事の手伝いなどの仕事が溢れていて手間稼ぎには事欠かないと言う環境もあったのだ。
そう言う訳で懐に余分なお金があれば盛り場で外食で、見世物小屋で芝居見物で、お稽古事で初物で、あるいは岡場所での遊興で四季折々に楽しんでいたようだ。今回は江戸っ子の遊び好きを四季の中の行事から探ってみようと思います。
先ずは「正月」この時代銭湯は2日からの営業だったそうで、客達は湯銭の加えて祝儀や心づけを気前良く弾み正月を祝ったそうだ。
続いて「春」の3月弥生の花見では上野や墨田堤の桜の名所で飲めや歌へのドンチャン騒ぎが繰り広げられた。春真っ盛りには以前にご紹介した初物フィーバーが江戸中を駆け巡り、高値の商売が活況を呈した。いづれも「いき」な行為として数々の錦絵に描かれている。
さて「夏」は花火である。大金をはたいて一瞬の輝きを楽しむ花火は正に江戸っ子好みの娯楽で、両国川開きは江戸の年中行事最大の賑わいと伝えられている。
もう一つの「夏・秋」の定番は祭り。神田祭と山王祭は祭礼行列が江戸城内にも入り将軍もご覧になった所から天下祭りと呼ばれ、双方各町会の神輿と山車行列を行い、庶民の熱狂は莫大な出費となって生活を疲弊させる程で、8代吉宗時代に大岡越前に命じ毎年を取りやめ隔年にし交互に行わせたた程である。大店の商人等は数百両(現在だと数千万)の出費を覚悟して積み立てたと言われています。
江戸っ子の「冬」は酉の市で賑わう。熊手を買い遊興に向う男衆は今も師走の風物となっている。師走13日には武家も商家も大奥も長屋もこぞって「すす払い」となる。普請需要や畳需要それに祝儀と一年締めくくりの行事もお祭り騒ぎであった。またこの時期一年の無事を祝い、親交を感謝し武家や商家は勿論庶民も贈り物を取り交わす「歳暮」風習が盛んになったそうである。贈答品は塩鮭、鰤、鱈等の魚や餅と言った食べ物が主流であったそうだ。江戸っ子の四季は粋でいなせな楽しみ生活であったイメージを与えてくれる。
不況・震災と暗いニュースの本年だけに江戸っ子の生活スタンスを少し取り入れて来年こそ新しい光を見出したいものであります。今年もこれにて打ち止め、後は年越し蕎麦を召し上がり1年の納めとお願い申し上げます