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2019年1月 第142話 江戸の正月

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新年明けましておめでとうございます。
年越し蕎麦で〆た年は、初日の出を拝み初詣と繋がる訳でありますが、江戸の「元旦」は意外と静かなひっそりとしたものだったと言われています。明け方まで燈火燃やして賑わった往来も夜明けと共に嘘のように静まり、各家は鎧戸を閉めゆっくりと寝正月を決め込む事が多かったようである。人通りと言えば新年参賀に江戸城に登城する武家や、初日の出を拝む人出、凧揚げや羽根つきに興じる子供達、そして元旦詣位だったと言う事である。
江戸の初詣は大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今日の初詣の原形となった。
江戸時代末期までは氏神またはその年の恵方の方角の社寺に詣でること(恵方詣り)が多かったのだが、明治以降では氏神や恵方とは関係なく有名な寺社への参詣が普通になっているようだ。ここ芝周辺は愛宕山や増上寺山門と言った初日の出の名所の高台があり、多くの人出を物語る名所図絵が残っている。
明けて「2日」はよろず物初め。元旦とうって変わって街は賑わいを取り戻す日だそうで、商家や問屋には早朝から初荷が届き初売りの開始となる。凧売り・寿司売り・福引売りなど正月ならではの商いの声が鳴り響き、商家は提灯のぼり等で飾りつけまるで祭りさながらの賑わいが浮世絵に描かれている。町火消しの出初も2日、武士の馬乗り初めや吉原の芸事初めもこの日。子供達の書初めも今と同じくこの日となる。前月号の「江戸の四季」でも書いたが、庶民は銭湯での初湯を楽しみ、祝儀を弾み、歌い踊り練り歩き賑々しくめでたい年明けを祝ったそうである。2日のもう一つの行事は「初夢で一富士,二鷹,三茄子」の吉夢を見るために枕の下に宝船の絵を置いて眠り、悪い夢を見ると川に流す風習があった。この宝船の絵を売る「初夢売り」も元旦と2日風物であった。
初夢の縁起を表すこの言葉は徳川家本領である駿河国での高いものの順。富士山、愛鷹山、初物の茄子の値段 と言う説が有名であるが他にも多々あるようである。正月の飾りは何と言っても「門松」であるが、一般的になったのが江戸時代で、正月関係の図絵には例外なく目立って書かれている。江戸初期には門松を仕舞うのは小正月と言われる15日頃となっていたようであるが、ある時期7日の朝には取り払うべしとのお触れが出され、そこから今もある「松の内」と言う期間が決まったとされているとの事である。
6日中に門松が仕舞われると否が応でも正月気分は消え街は日常に戻る、7日に「七草粥」を食べ、11日に鏡餅を割って鏡開きとなる。餅は縁を切ってはいけないと言う事から今でも割る事になっている。