2019年11月 第147話 三色と五色
数にまつわるお蕎麦のお話の第二弾は三と五です。三は三色で「さんしょく」、五は五色で「ごしき」と読みます。
当家更科布屋のお家芸はご存知家伝の「色物変わりそば」ですが、この三色そばや五色そばと言う言葉が文献に登場するのは、寛延4年(1751)の『蕎麦全書』が最初とされております。現在三色そば、五色そばと言うと3月3日の雛祭りを結びつけますが、ここでの三色そば、五色そばというのは、雛祭りとは何の関係もなく当時人気のあったそば屋の「売り文句」として記述されているだけでした。
一方、雛祭りとそばの縁は、江戸時代中期に溯り文献で確認できるのは18世紀半ば過ぎ頃からで、節句の翌日の三月四日に雛人形にそばを供えてから雛を仕舞う習慣がその縁の始まりでした。この習慣は江戸が東京に変わった現代でも旧家を中心に綿々と続いております。
但し、江戸の文献はそばを供えるとしているだけで、見た目にも鮮やかな変わりそばによる三色とか五色蕎麦の盛り合わせとはなっておらず、いつ頃から変わりそばが使われるようになったのか、はっきりとは分かっておりません。ちなみに、変わりそばで最も古いとされている卵切りが文献に出てくるのは、『蕎麦全書』と同時期の寛延3年、次の紅切りは天明7年(1787)で、海老切りは寛政12年(1800)まで待たねばなりません。すると寛延頃の三色、五色とはどんなそばだったのか。興味をそそられますが手掛かりが無いのです。
現在は変わりそばの作り方(色や香りを作る材料の色々な打ち込み方)が全て分かる指標としてこの5色が使われており、それぞれが工夫を凝らして、季節に合わせた材料を使ってお蕎麦の世界を演出していると言う訳です。
五色の色は「黄・白・黒・赤・青」とされており天地の世界を表し、お蕎麦の盛り方も風水の方向と同じとされ四角い蒸篭の中央が「大地の黄」 「上は北東で青竜が位置する青で季節は春」 「左上は北西で玄武が位置する黒で季節は冬」
「右下は南東で朱雀が位置する赤で季節は夏」「左下は南西で白虎が位置する白で季節は秋」となる決まりです。
五色の色を出すには色々な材料の組み合わせが有りますが、基本は「白は更科そば」 「黄色は卵切りそば」 「黒が胡麻切りそば」 「青(実際には緑色)で茶そば」「赤は鯛切りそば」となっています。当店ではこの五色の内から三色を取り、季節に合わせて月替わりの材料を打ち込んでお届けしております。