2024年11月 第190話 芝浜
2011年11月21日は粋な天才江戸っ子落語家として一世を風靡した七代目(自称5代目)立川談志師匠が亡くなった日であり、今年で丸13年が経つ。はしなくも私も同じ7代目でもあり、彼の十八番の一つ「芝浜」は正に当地芝が舞台となる落語の名作、しかもそのお話の落ちに出てくる日が大晦日ときては蕎麦屋の店主としても一言語りたくなる気分であり、この時期にふと思い出した事も何かの因縁かと感じた次第であります。
ご存知「芝浜」は本芝町(現在の港区芝5丁目辺り)の魚河岸に出かけた魚屋の魚勝が波間に漂う皮財布を拾い、家に帰って開いてみると何と42両もの大金であり、大喜びで大酒を仲間に振る舞い飲んで寝てしまう。翌朝起きると女房にそれは夢だったと促され、大金を拾ったのは夢、大酒を振舞っての散財したのが現実だとたしなめられる、心を入れ替え商いに精を出した結果、小さな店を出すに至った3年後の大晦日、実は女房が魚勝に秘密で番屋に届けた42両が落とし主不明で戻ってくる、騙された形だが善行をした女房に感謝しながら機嫌を直し、女房のつけた酒を飲もうとして一言「よそう、また夢になるといけねえ」と言う落ちとなるお話である。10両盗めば首が飛ぶと言われた時代の42両はまさしく大金ですので有頂天になっての大盤振る舞いと泥酔も致し方無いのかもしれません。
さて、当時の大晦日は一年の締めくくりの日であると同時に借金の精算をする日でもありました。当時の借金は盆と暮れの2回払いが一般的で、特段この大晦日が1年の総決算であったのです。貸した方は新年を迎えるために走り回って徴収し、借りて返す方も走り回ってお金を工面しなくてはならない日だった様でのんびりと除夜の鐘を聞くのは案外大変だったのかもしれません。勿論返せない人もいる訳で、こちらの方もまた「言い訳屋」と言う落語の1題にもなっております。大晦日にめでたく「年越し蕎麦」を食べられると言う事は今年が良い年であったと言う事で、翌年もまたいい年であります様にとの願いを込めた蕎麦が年越し蕎麦であったように思われます。
今年も是非「縁起の良い年越し蕎麦」召し上がって頂きたく思います。宣伝になりますが、本年も大晦日は22:30まで営業させて頂きますのでよろしければお立ち寄り下さい。周辺では増上寺や芝大神宮の初詣、東京タワーの初日の出と吉例の年越し新年行事がお楽しみ頂けると思います。さて、古典落語と当地港区は何かと縁のある場所で圓生の語る「小言幸兵衛(こごとこうべい)」は麻布古川、同じく圓生の「首提灯」と立川志の輔が近年話す「徂徠豆腐(そらいどうふ)」はここ増上寺周辺が舞台となったお噺です。